しばらく忙しくて中断していたが、日記を改めて始めようとなんとなくおもった。でも、普通に日記を書いてても飽きる。ちょっと前に書いた日記と言うかエッセイと言うか批評というか、よくわからない文章があるのだが、妙に手応えがあった。手応えというよりかは、書いてよかったなという感じ。ここ二ヶ月くらい、離婚のことを考えてウジウジしてたのだが、文章にするとスッキリして、読み返すだけでいい気分になる。思わず商業誌の投稿論文に応募してしまったが、それも含めておもしろいなと思う。 エッセイは好きで読んだりしてたけど、やはり他人のエッセイを読んでるのでは飽きる。自分のは飽きない、なぜだろう。ナルシシズムでもなく、よみたいものを力んで書いているわけでもない。クリティカル・エッセイという括りがあるが、そういうものが性に合っているのかもしれない。 映画を最近たくさん見ているが、これがきっと今の自分のムードなのだろう。空間と時間を摂取することで自分の置かれている空間と時間に敏感になる。 今、ソファに寝っ転がって布団かぶってYoutubeを見て、時折煙草を吸いながらこれを書いているが、この身の置き方がいまの私の身体にフィットしている。 本をあんまり読んでいないなと思うが、少し離れることで、本当に読んだほうがいいことについて考える時間になっている。 より、空間と、空間を構成する人間の身体について考えるようになった。空間というとき、そこに人間は想像されないことがあるが、最近思うのは、空間は人間なしには立ち現れないということだ。現象学的なものだといえばそれまでだが、身を持って体感している。空間は自明ではなく、人間との関係によっていつも違ったかたちで現れる。 クリティカル・エッセイとはなんだろうか。暮らしの中から新規性のある洞察を引き出す、というのが一般的な解釈と思われるが、洞察すら文章においては蛇足なのではとも思う。つまりは、空間において生じた事実を適切な順番で(時系列通りとは限らず)配置していき、一次的な感情を付記するだけで、勝手に読者に洞察を引き起こすことができるのだ。そういった禁欲的な文章を書きたい。