博士論文を明確に考えてみよう。
AIに相談してもどうしてかパッとしない。まとまるわけでもなく、発散するでもなく、なぞられている感じ。
なので、ここで書き出してみよう。
まず、設計プロセス論の文脈で書きたいのは間違いない。
自分の感覚としては「建築や空間等の成果物」がもっとも下流にあり、その上に「設計プロセス」、さらにそのうえに「メディア環境」がある。
ゆえに、単に設計プロセスを語るのは片手落ちで、成果物やメディア環境も観察することによってはじめて設計プロセス自体を相対化することができると考える。
状況論的アプローチを精査するのか、あるいは別の分析手法を持ってくるのか。いずれにせよ質的研究になることは間違いない。
ところで、研究助成なりクラウドファンディングなりお金を稼ぐ方法を考えなければならない。
しかし、ここ2週間くらいはどうもメンタルが上向かない。こういうときは無理をしないほうがよい。間違いなく疲労している。体がそれを感じている。
しかししかし、知的好奇心が途切れることがないのもまた事実で、数学のyoutubeチャンネルを見るなどで解消はされているが、この内なるエネルギーはなんなのだろうか。おそらく表現欲のようなものだろう。
こういった場合は仕事に集中するのが吉かもしれない。早く寝よう。
日記の形式をすこしかえてみよう。
ここで、トピックを箇条書きにする。
・決断主義と民主主義の機能障害について
>シュミットやミースの決断主義の背後にあったのは、ワイマール民主主義という、それ自体が表象=代表制の機能障害と危機以外の何ものでもない政治体制であった。
10+1 No.13 1998 特集 メディア都市の地政学
・CADをAIが(まだ)再現できないことについて
[AIは絵を描けるのに、CADの線は引けない](https://zenn.dev/0xliclog/articles/fd193ac074be51)
[AIは3Dモデルを作れるのに、CAD設計データは作れない](https://zenn.dev/0xliclog/articles/f2851476c48d18)
・エッシャー絵画のリバースエンジニアリングについて
[絵の対数を取るとはどういうことか](https://www.youtube.com/watch?v=vwFSC_XrRmU&t=1s)
・ドロステ効果を映像ではなく一枚絵でやるとなると累乗を観者の視線移動に託すことになる。
・複素平面の等角写像であれば微細なところを見ると形が保存されるので、たとえば小さい絵画や写真をザハ的な曲面に展開・パネル化しやすい?
・インテリア空間の批評について
・インテリアや展示会の空間設計などはステークホルダーも合意形成プロセスも素材・設備選定も何もかも建築と違うが、正直なところ建築よりも世の中への瞬発的な影響は大きく、しかし文脈がない(ほんとはあるけど)ので批評の俎上に載ってない。
・建築における法規や行政との折衝が、インテリアでは内装監理室を通した館側との折衝にアナロジー的にはスライドできるけど内情は全然違う。また、施主の持つブランドイメージが最上にありつつ工事区分・予算・収容物の影響が著しく前景化するので設計者のシグネチャーが良くも悪くもあらわれにくい。
・身体的な寸法感覚もインテリアデザイナーは敏感で、逆に建築家が設計したカフェは席がスカスカすぎて居心地悪いなどはままある。一方で共通環境の設計は建築家の方が全体的な体験設計やリースラインまわりの操作に優れてる感じはある。
・商業施設だとぶっちゃけ内装よりもサイン計画の方が体験の良し悪しや施設イメージを左右することも多く、運よく設計者が協業者をアサイン(または進言)できる立場にある場合はプロデューサー的な頭に切り替えないといけない。考えれば考えるほど都市の空間を語るときに建築の言葉は効力を失っていく。
・建築の設計プロセスにおけるカタログの存在について
・現代の建築とカタログの関係は設計プロセス論においては重要なトピックのように思えるがあまり例を見かけない。 (ケーススタディハウスとスイーツカタログの関係についての言説や論文はちょこちょこ見かける)
・grasshopperの設計プロセスにおける意義について
・grasshopperなどのパラメーターによる事後操作が可能なツールはアルゴリズミックデザインのようなアウトプットへの帰結より、設計者-デザイン監修者の設計分界点を明確にできるバウンダリーオブジェクトとしての方が可能性あると思う。
・問題は、設計側は常にパラメーターを少なくすることを考えており、デザイン監修側はできるだけパラメーターを増やしたり(あるいは逸脱)することを考えているということで、如何にそれらを包含できるシステムをつくれるか。
・大宮前体育館のジムについて