チュルリョーニスというリトアニアの画家をはじめて知ったが、ポスターに使われていた≪祭壇≫に目を奪われてしまったので、久々に展覧会をめぐる日にしようと思ったのだった。その展覧会は『チュルリョーニス展 内なる星図』というもので、国立西洋美術館での開催。上の自体もひさびさ。 9:30オープンで、なんとなく並ぶ気がしたので9時には着くようにした。前から8人目だった。案の定、オープンするころにはすごい人で、チュルリョーニスはそんなに人気なのか、と思ったら北斎展も同時にやっているのだった。 展示と関係ないが、[国立西洋美術館](https://www.nmwa.go.jp/jp/)のファサードのパネルは4層の構成になっていて、その縦の長さが下から「長、中、中、短」というようになっている。今回気づいたことだが、そのプロポーションにはどういった狙いがあったのだろうか。時間があるときに調べてみよう。 展示を見たあとににショップをみていたら[ユリイカのチュルリョーニス特集](https://amzn.asia/d/08K4XIMT)が目に入った。寄稿者の中に若木信吾さんの名前もあるではないか。若木さんは弊社の東京事務所でシェアオフィスをしているので、今度きいてみよう。どうやら、2008年にヤングツリープレスから『[チュルリョーニスの時代](https://amzn.asia/d/0i6RohdY)』という本を出版していたようで、隣にその本も置いてあったので勢い余ってユリイカと一緒に買ってしまった。大きな出費ではあるがこういう勢いは大事なのだと言い聞かせる。若木さんのエッセイも面白かったが、本田晃子さんが書いている建築的な分析もよかった。噴水の広場に面したスタバのテラスベンチで読んだのだが、それが存外気持ちよく、気分がよかったので面白く読めたという説もある。読書ってまじで気分による。 チュルリョーニス展のあとは、東京都美術館でやっていた「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」に行った。 上野公園を移動する間に、噴水のある広場でワンコたちのフェスがやっていてとてもよかった。 東京都美術館は前川事務所の名作であるが、そのレンガと鉄とガラスの組み合わせが絶妙だ。アプローチでもある中庭はレンガ調の舗装と芝生が入交り、ところどころにアートピースが鎮座する。ジグザグの建物外観と相まって、奥へといざないつつもゆったりとした広さ。アプローチの終端は地下へと続き、本美術館の展示は地面の下から地上へと上がっていくような体験をもたらす。最終地点は背の高いホワイエのような場所で、当の中庭にガラス越しの視界がひらける。動線をふくめ、考え抜かれた建築であると改めて感じた。 スウェーデン絵画の内容自体は、はじめてみるものばかりで想像以上に面白かった。いくつか気になる絵画もありつつ、その方向性は多岐にわたるので、あとあと見返すように図録を買った。時間のあるときに見返して掘り下げてみたい。 上野から恵比寿に移動して、「金村修 展|SKELETON GOATS DUST STORMS」に行った。会場のMEMには初めて訪れたのだが、入口は路地を入って奥まったところにある変な場所。ポリカの外装のきれいな建物に入りエレベーターに乗って3Fのギャラリーに向かう。扉がひらくとすぐにギャラリーで、突然であってしまう感じがあった。金村さんの作品もよく、街の写真をモノクロームで撮ってみたくなった。金村さんの『[写真批評](https://amzn.asia/d/03EHINtX)』は軽妙かつ一つ一つのエッセイが短いのでちょこちょこ読んでいるのだが、そういえば近々は手に取っていなかった。 そのあと、行きしに見つけたやよい軒にはいる。とり天がうまそうで頼んだ。レモンサワーが合う気がして、昼から酒を飲んだら、とても気分がよくなった。そのノリノリな感じで[東京都写真美術館](https://topmuseum.jp/)に向かった。鑑賞したのは、「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」という展覧会。ユージン・スミスといえば、『水俣』と『ライフ誌』というイメージだったが、プライベートな写真を撮っていた時代もあったのだ。ところが、そういったプライベートかつ実験的な時代であっても、不思議と「この場を保存せねば!」といったジャーナリズムを感じる写真が多く、面白いなと思った。 恵比寿から外苑前に移動し、ワタリウム美術館でやっていた「ジャッド マーファ展」に行った。スプリング通りのビルについて「初めはこの建物は大きいと思っていたが、どうやら小さかったようで」というコメントが示すような、作品と空間についてのジャッドの感覚が構成にも現れている展示だった。個人的に気になったのは、ビミョーな角度の平行投影ドローイング。どうして、45度でも30度でもなく、このようなほぼ正面から見たような角度の投影になっているのだろうか。そこには明確な意図があるだろうが、今はまあ追究しなくてもよいかというおおらかな気分である。見終わったあとにショップで透明プラスチックの財布を買ってしまった。もの自体にそそられたのもあるが、その包装を筆箱にしようかなと思いついたのだった。表側は透明で裏側はミラーっぽい蒸着の袋でジッパーになっている。中が見える筆箱としての使い勝手への考慮と、「包装を転用する」というようなデムナ的発想にあこがれもあって「これは!」と思ったのである。家に帰ってから、NewJeansのファーストアルバムのステッカーを引っ張り出して貼ったらとても良いバイブスになった。今回のジャッドの展覧会は空間と作品の関係性に重きが置かれていたが、以前みたapartamentoの記事ではジャッドの「物」に対するこだわりというか偏愛がみてとれた記憶がある。もういちど見返してみよう。 一日に5つの展覧会を回るという偉業(?)を成し遂げたあと、脱毛まで時間があったので、レジーナの知覚のドトールで時間をつぶした。そのあと、いざ脱毛。もはやモチベがないので契約回数をただ消化するだけの消極的髭脱毛だ。今日の施術者は前回と同じお兄さんで、前回同様に「お痛みに耐えていただきありがとうございます」を連呼していた。なんか痛めつけられながら繰り返し感謝を告げられ不思議な気分になった。 さて、だいぶ盛沢山な一日だったので長くなってしまったのだが、今後も日記をベースにして記事を少しずつ蓄積しようと思う。